意外と知られていない徳川家康の死因には3つの説がある

徳川家康 死因

 

徳川家康は、どのような最期を迎えたのかには様々な説があります。征夷大将軍の死因ぐらはハッキリしているだろうと思われますが、実はよく分かっていないのです。

 

徳川家康の死因で考えられるのは、どんな説なのでしょうか?

 

 

鯛の南蛮漬けの食べすぎにより死亡?

 

徳川家康 死因

 

徳川家康の死因について、現在では俗説だろうとされているものが「鯛の南蛮漬け」を食べ過ぎたからというものですね。

 

1616年の1月21日に、徳川家康は70歳を過ぎた年齢でありますが、早朝から鷹狩りへと向かいます。

 

人生50年と言われていた時代に、70歳まで生きているというのがスゴいことなので、あまり無理をしないほうが良いと周りは言っていたようです。

 

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徳川家康は我慢強いだけの性格ではなかった…

 

案の定、寒い真冬は家康の体調を崩させて鷹狩りの最中に倒れてしまいます。休んでいる家康の見舞いにきた茶屋家の3代目が、お見舞いを持ってきました。

 

それが「鯛の南蛮漬け」でした。病み中の家康は驚くべき食欲を持っており、いくつも食べていったようです。しかしそれがいけなかったみたいで、腹痛が激しくなり3ヵ月後の4月17日に亡くなったのでした。

 

ただ、3ヶ月前に食べた南蛮漬けが、直接の死因になるとは考えにくいので、この説は俗説として処理されています。

 

 

死の直前の容態からは胃がんと言われている

 

もう一つの説として、「サナダ虫」によるものがあります。こちらは徳川家康本人が申告いていたものです。

 

鷹狩りをしている最中に、激しい腹痛を覚えた徳川家康は、診察をした主治医に対して「自分は昔からサナダ虫が腹の中にいる」ことを申告したのだとか。

 

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ところが、サナダ虫がいるというのは徳川家康の思い込みであり、本当は胃がんで亡くなったのだろうというのが、今のところの定説です。

 

その理由として、徳川の公文書に「痩せ方が激しく、吐血と腹に大きなシコリが出来ている」と書かれているところから、胃がんと判断しているようです。

 

 

関ヶ原の合戦時にすでに死亡説

 

徳川家康 死因

 

さて徳川家康の死因は胃がんということが通説になりつつありますが、他にも暗殺説というものもあります。

 

徳川家康は関ヶ原の合戦時に致命傷を受けて死亡しており、その後は影武者が徳川家康として代わりに生活をしていました。ところが、もう用事が無くなったこともあり、大好物だった天ぷらに毒を持って影武者を殺害したというものです。

 

そのため、死因は戦死という扱いになるのですが、影武者という説は現在では否定されているものなので、その流れから行くと暗殺というものも考えにくいでしょう。

 

 

死ぬ間際の家康の逸話

 

徳川家康 死因

 

徳川家康が何かの影響でなくなる前に、いきなり立ち上がり刀を振り回します。そして「この刀で末代まで子孫を守ってやる」ということを言い残して、そのまま息を引き取ったともされています。

 

ただこの話は、徳川家康を神格化させるために作り上げた逸話であるとの見方もありますので、何とも言えません。それでも死因すら分からないというのが、現在でも興味を持つ人が多いひとつの特徴でもありますね。