謎の死を遂げた武田信玄の死因として3つの説がある

武田信玄 死因

 

戦国武将として才能を発揮し、教養面においても徳川家康に大きな影響を与えたとされるのが、「武田信玄」ですね。江戸時代に高く評価されたことから、現在でもその活躍のスゴさというのは広まっています。

 

ここまで活躍した武田信玄ですが、死因というのは明らかになっていません。遺言もいくつか残されているようですが、どんな死因が考えられているのでしょうか?

 

 

戦によって致命傷を負っていた

 

武田信玄 死因

 

武田信玄は、1521年12月1日に生まれ1573年5月13日に没したとされています。

 

享年は52歳で、死亡した場所は三河街道上だと言われており、軍を甲斐に引き返す道中で死去したようです。

 

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そのため、戦によって負傷したという訳ではありませんので、戦死という説は現在でも浮上はしていないです。

 

しかしながら戦で負傷した傷があったがそれを周囲には隠しており、それが致命傷となり死亡したという考えは古くからあるようです。

 

 

戦での負傷は創作だった

 

ところが史実にそのような記載はありませんし、医師の診断においても傷が致命傷になったということは書かれていません。この説は小説やゲームなどにおける素材として誰かが草案したアイデアだろうと言われます。

 

 

一番有力な説は病死とされている

 

武田信玄 死因

 

武田信玄の死因と関係していると言われるのが、「膈の病」と呼ばれるものです。

 

これは武田信玄の侍医であった板坂法印が診察をして可能性を指摘したことが、書物から見つかっています。

 

膈の病というのは、胃や食道に食べ物が停滞してしまい上手く消化が出来ていない状態を指します。

 

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これが続くと食べ物が腐ってしまうので、咳や吐き気、嘔吐などの症状が出て詰まっている部分が炎症していきます。

 

すると、患部が盛り上がるように膨れてきますが、武田信玄の状態がまさにソレに近いことが言われます。

 

同じような症状に「胃がん」もありますが、どちらにしても武田信玄の死因は病死の可能性は高いようです。

 

 

俗説として暗殺説がある

 

武田信玄 死因

 

可能性は低いかもしれませんが、「暗殺説」もあります。三河の野田城を包囲していたとき、場内のほうから毎日夜になると何度も見事な笛の音が聞こえてきたようです。

 

その城の中には、芳休(ほうきゅう)と呼ばれる笛の名手がおり、城壁の傍で毎日奏でていました。武田信玄は笛の嗜みがあったこともあり、この笛の音色にすっかりハマり、城壁の傍までついつい近寄ってしまいます。

 

それはまさに武田信玄をおびきよせる罠で、城壁に近づき油断したスキに銃声が聞こえ、武田信玄に命中します。この傷が致命傷となり、道中で死亡したというのです。

 

これは江戸時代に創作されたものらしく、現在では「俗説」として処理されています。

 

 

甲斐の虎とも呼ばれた武田信玄は、自分が死んだことを周囲が気付くと大変なことになるとして、3年は隠せという遺言を残していますね。身内はそれをしっかりと守ったとされていますから、死ぬ時期というものをあらかじめ知っていたような感じもします。

 

武田信玄の死因については、歴史学でも重要なポイントになりますので、研究が続けられています。