明智光秀の娘「細川ガラシャ」の武人の妻としての壮絶な人生とは?

明智光秀 娘

 

織田信長を本能寺の変で襲い、戦国時代の歴史に大きな変化を与えたのが「明智光秀」ですね。どうして織田信長を襲ったのか、多くの謎が残されています。

 

そんな明智光秀には娘がいます。名前がカタカナで「細川ガラシャ」と呼び、当時としてはとても珍しい名前です。

 

明智光秀の娘は、どうしてこんな名前になり、その後どうなったのでしょうか?

 

 

女性として日本人初のクリスチャン

 

明智光秀 娘

 

戦国末期の武将である細川忠興の婦人として影ながらに支えたのが、「細川ガラシャ」です。

 

明智光秀の三女としても知られており、日本で最初の女性クリスチャンの一人です。

 

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この「ガラシャ」という名前は、彼女のカトリックにおける洗礼名とのこと。本名は「細川玉」と呼んでおり、そこまで珍しくはない普通の名前であることが分かります。

 

武将の夫人としての運命を理解いていた聡明で、明哲で、さらに誉れ高い女性として後世にその名前を残している重要人物です。

 

 

本能寺の変で人生が暗転する

 

明智光秀 娘

 

細川ガラシャは、武将である父の血を引いていることもあり多感な少女時代を送ります。

 

裕福な家庭であったこともあり、幸せな時代を過ごしていたのですが「本能寺の変」において、その人生は急激に暗転してしまいます。

 

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父の明智光秀と、夫となる細川忠興、その父である細川藤孝は共々親しい間柄にありました。

 

その縁もあって、織田信長がガラシャと忠興の仲を取り持ったとされます。それだけ信頼をしていた人物を、明智光秀が本能寺の変で襲ったのですから人生は狂います。

 

 

父明智光秀が討伐された後に洗礼を受けた

 

明智光秀 娘

 

夫の忠興とその父が、反明智光秀となって、細川ガラシャの父と戦うことになり明智光秀は死亡します。

 

本当ならば、娘である細川ガラシャにも命の危険が及んでもおかしくはありませんが、それを夫は許し、後に天下を取った豊臣秀吉も許しました。

 

周囲が許してくれはしましたが、環境は激変し夫も昔とは違っていました。

 

そんな中、「細川玉」はカトリックの先例お1587年に受けて、「細川ガラシャ」という洗礼名に変更し、さらに美しくなっていきます。

 

 

夫の人質になる前に自ら死を選んだ

 

明智光秀 娘

 

しかし戦国時代はガラシャに厳しい運命をさらに叩きつけるようになります。

 

豊臣秀吉の死後、天下統一を争う「関ヶ原の戦い」を前にし、西軍の総帥であった石田三成は東軍に投じられた細川忠興をかく乱させるために、細川ガラシャを人質に取ります。

 

しかし細川ガラシャは人質になるであろうことは予期しており、自ら燃え盛る炎の中に身を投じて死を選びます。武人の妻として最後まで他の力に屈しない芯の強い女性だったのです。享年は38歳と記録されています。

 

 

明智光秀の娘として生まれた細川ガラシャ。戦国時代の重要な場面において、運命を転がされてしまう人生を歩みます。

 

それでも武人の妻としての行動を理解し、他の力に屈しず、キリストで禁止されている自殺を自ら選ぶなど、臨機応変な対応には見習うべき点が多くあります。