多くの偉業を成し遂げた織田信長の歴史を振り返ろう

織田信長 歴史

 

戦国時代の英雄で、500年以上経過している現代でもドラマや漫画、アニメ化されているのが「織田信長」ですね。よく題材にされていますし、学校でも習いますから誰もが知っている人です。

 

そんな織田信長ですが、有名な本能寺の変で明智光秀の裏切りによってこの世を去るまでに、実に様々な歴史を作ってきました。その数々は今でも色あせることなく語り継がれています・・・。

 

 

織田信長の年表

 

織田信長 歴史

 

織田信長は、1534年に愛知県で生まれます。16歳の頃に濃姫と結婚し、29歳にして徳川家康と同盟を結びます。

 

その後34歳で本拠を岐阜城に移し、40歳で室町幕府を滅ぼし天下統一へ向けてリードしていきました。

 

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織田信長の「濃姫」はどの様な妻だったのか?

 

そして歴史が変わったとされる1575年。有名な「長篠の戦」において、武田信玄の息子を破り、安土城を築きます。

 

ところが49歳に本能寺の変によって、自害という形でこの世を去ります。

 

これが織田信長のざっとした年表です。

 

 

当時では珍しい政策を次々と打ち出していた

 

織田信長 歴史

 

織田信長の歴史を考えていく上で忘れてはならないのは、大胆な政策です。

 

好奇心旺盛で、良いと思ったアイデアは次々に取り入れていく改革派でしたから、今まで思いも付かなかった政策を打ち出しては、成功させていきました。

 

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有名なところでいえば「楽市楽座の政策」でしょうか。楽市楽座という商人からは税を取らないという当時としては、かなり大胆な政策を施行します。

 

これによって、商人の世界が発展して、商業が盛んになったと言われています。物を作り、それを売る。今では当たり前の光景ですが、大きく盛んにさせたのは織田信長なんですね。

 

 

500年前の時代から交通インフラを考えていた

 

織田信長 歴史

 

「関所の廃止」も大きな政策でした。関所は交通の要所に設置されていた施設で、徴税や検問のために設けられていたものです。

 

この関所がある関係で、物品の運送が妨げられていました。商業の発展を考えていた織田信長は、この関所がある限りは商業の発展が望めないと考えていたのです。

 

そこで織田信長は各地に点在していた関所を廃止にし、両国内の険しい道を舗装して、川には通行や運搬がスムーズにするために橋をかけました。500年以上前から交通インフラを考えて実際に行動していたのです!

 

 

天下統一を目の前にして亡くなった

 

織田信長 歴史

 

1575年の「長篠の戦」では、徳川家康軍と協力して鉄砲3000丁を使って、山梨県の大名である武田信玄の息子の武田勝頼を打ち破ります。長篠の戦で使われて鉄砲3000丁は、ひとつの合戦で使われた数としては世界最大の規模を誇ると言われます。

 

当時武田軍は天下統一に一番近いとされており、長篠の戦を勝てれば天下統一は確実だろうとされていました。ところが織田信長と徳川家康の同盟軍には敵いませんでした。

 

武田軍を倒した織田信長は、天下統一は確実だろうとされていたのですが、1582年に本能寺の変が発生し、自害することになったのです。どうして明智光秀が織田信長を裏切ったのかは定かではありません。

 

 

織田信長の歴史を軽く振り返ってみました。今でも驚くような政策を、500年以上前に実施していたというのはビックリしますよね。