織田信長の子供達の活躍とその後…

織田信長 子供

 

織田信長には多くの子供がいることが分かっています。しかしながら、現代においてあまり話題にはなりませんよね。

 

織田信長の子供はどんな活躍をしたのでしょうか?

 

 

織田信長には20人以上の子供がいた

 

織田信長 子供

 

織田信長には側室が多くおり、子供も20人以上いたとされています。

 

しかし、母が誰なのか不明な場合もありますし、その後がどうなったのかが詳細に記されていないこともあるため、全てを把握するのは難しいとされます。

 

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残忍と言われていた織田信長の性格は違う一面もあった

 

織田信長の正室である「濃姫」との間には子供がいないとされてもいますが、濃姫に関する史料が乏しいこともあり本当に子供がいなかったのかどうか定かではありません。

 

 

長男は頭脳明晰は父親譲りと言われていた

 

織田信長 子供

 

織田信長の側室である生駒吉乃との間に生まれた長男が、織田信忠です。1576年に織田信長から織田家の家督と美濃・尾張の一部を譲り受けて岐阜城主となっています。

 

その後総大将として、松永久秀討伐や大坂攻めに出陣します。1582年武田氏攻略においては先鋒大将として、滅亡に追いやるなど、多くの活躍を見せてきました。

 

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織田信長の長男としての自覚と、その責任感の強さ、頭脳明晰などは父親譲りだと言われますね。当初は鈍感だという評判がありましたが、最近はその勇敢さが認められつつあります。

 

本能寺の変のとき、父である織田信長と一緒に本能寺にいた際に明智光秀率いる軍に襲われ、自害をしたとされます。

 

 

次男は長命だった

 

織田信長 子供

 

次男に生駒吉乃との子供で、「織田信雄」がいます。父の織田信長が死去した後、弟である信孝と争いを繰り広げます。さらに、徳川家康と結んで、小牧・長久手の戦いを起こして、豊臣秀吉と戦いを挑んだのです。

 

その後は内大臣となり、大阪の陣後、大和国五万石を領します。叔父から茶道をも学び、隠居生活を過ごします。1630年に72歳で没しました。

 

有能であれば、天下を統一していた人物になれるほどだと言われます。

 

 

秀吉と共に父親の仇を討った三男

 

織田信長 子供

 

織田信長の三男には「織田信孝」がいます。伊勢神戸城主神戸貝盛の養子となったことから、神戸三十七と呼ばれるようになりました。

 

本能寺の変においては、豊臣秀吉と合流して明智光秀を破ります。継承を争う清洲会議の結果、美濃国岐阜城主となりまうが、その後秀吉と対立をして、26歳で自害をしました。

 

 

織田信長の子供について、少し紹介しました。あまり知られていなかったり、病死してしまうなど全てが詳細に分かっているものではありません。