戦国時代に活躍した黒田官兵衛の子孫達の活躍について

黒田官兵衛 子孫

 

戦国時代に活躍した黒田官兵衛。織田信長や豊臣秀吉の家臣として従え、戦国時代の歴史に大きく関与したと言われていますね。

 

そんな黒田官兵衛には子孫がいたのかどうか気になるところです。もしいたとしたら、どんな活躍をしたのでしょうか?

 

 

直系の子孫はいないが家督は現在も受け継がれている

 

黒田官兵衛 子孫

 

黒田官兵衛の直系の血筋などを調べてみると、5代当主までで途絶えていることが分かっています。病弱で子供を設けることが出来ずに、養子を貰っているんですね。

 

そのため現在まで続く直系の子孫はいないということ。ですが家督は受け継がれてるので、家系図的には親子関係というものは存在しており、現在にかけても子孫はいます。

 

では2代目から順を追って見ていきます。

 

 

黒田家は2代目の時に存続の危機があった

 

2代目は、黒田忠之で1602〜1654年です。

 

父の黒田長政の遺言に従って、弟などに5万石ほどを与え、福岡藩の石高は43万石相当になったといいます。

 

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その頃、黒田騒動というものが勃発して、黒田家は存亡の大きな危機が訪れます。

 

それを2代目はどうにかして退け、この危機は免れるようになりました。

 

 

3代目は厳しい財政状況をなんとか打開

 

黒田官兵衛 子孫

 

続いて3代目は、黒田光之で1628〜1707年です。福岡藩の財政状況は厳しく、それは忠之の末期ごろから始まっていたと言われます。

 

そのため光之は厳しい倹約(節約)令を出すなどして、財政の引き締めをしました。これによって藩政改革が実現し、厳しい状況を少し改善させることに成功しました。

 

また学問に関しても精通しており、「黒田家譜」を編集させたという記録も残っています。

 

 

父との対立も合わさって財政政策を失敗してしまう

 

黒田官兵衛 子孫

 

4代当主は黒田綱政で1659〜1711年です。

 

当初は叔父に子供がいなかったということもあり、そこの跡を継いでいたのですが、後に父である光之の跡を継いで藩主となったという経緯があります。

 

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光之の側近をすぐに排除して、自身の権力の強化に走ったということもあって、父と対立することになりました。さらに隣の佐賀藩との間で戦争が起こり、財政的に厳しくなります。

 

これによって藩例を発酵するのですが、米の価格が大きく動いてしまったことで失敗に終わります。

 

 

5代目で血統は絶たれる

 

黒田官兵衛 子孫

 

5代目は黒田宣政で1685〜1744年です。病弱で政務等を行うことができなかった為、藩政などを黒田長清に担当させます。

 

子宝にも恵まれなかったこともあり、長清の子供である継高を養嗣子として家督を譲ります。この5代目で直系の血は途絶えてしまいます。

 

 

10代目当主はシーボルトとの対話をしていた

 

黒田官兵衛 子孫

 

少し飛んで10代当主は黒田斉清で1795〜1851年です。

 

0歳の頃に父が亡くなったこともあり、0歳で家督を相続します。斉清は学問に強く、長崎警衛を担当していた経験もあってか、特にロシアやイギリスに対して強い関心を持ちます。

 

海防論である「海寇窃策」は高く評価されます。さらに鳥類や草木に関しても教養が深く、世界地理や文化風習などについてシーボルトと対話をした記録も残されています。

 

 

このように、黒田官兵衛の子孫は5代で血統は絶たれてしまいますが、そこから家督は引き継がれており、現在16代目の黒田長高さんが生存されています。

 

不動産関連会社の経営者であり、趣味はバイクだそうです。家督といえども、16代まで続いているというのはとてもスゴいことですよね!