天下統一を目前に亡くなった織田信長の子孫たちとその後…

織田信長 子孫

 

天下統一を目前にして、はかなくともその夢が潰えてしまったのが「織田信長」ですね。家臣に裏切られるという衝撃的な結末は、現代でも多くの謎を残しています。

 

そんな織田信長ですが、その後子孫はどうなっていったのでしょうか?

 

 

高家に任命されるほどのビッグネーム

 

織田信長 子孫

 

織田信長が亡くなってからも、織田家という名前は相当にビッグだったようです。

 

それが分かるのが、徳川家康が朝廷政策を優位に進めるために、戦国大名の子孫を「高家」に任命したところです。

 

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織田信長の「濃姫」はどの様な妻だったのか?

 

その高家に選ばれたのが、吉良家や今川家、大友家など名だたるビッグネームで、そこに織田家が入っているというところから、徳川家康は織田家のネームに大きな価値を感じていたんですね。

 

 

高野山で修行を重ねた子孫

 

織田信長 子孫

 

織田信長の子孫は江戸時代をしっかりと生き抜いたとされています。2代目は織田秀信で豊臣秀吉の推薦によって、わずか3歳のときに家督を相続した人物となります。

 

関ヶ原の戦いにおいては、西軍に従うことを決めたので負け武将という扱いになりました。ところが福島正則が助命という武将としてあってはならないことを主張したことで、高野山に送られてミッチリ修行を受けることになります。

 

江戸時代に入る1605年には高野山を下りますが、26歳で死亡します。死因は自殺か病死のどちらかが言われています。

 

 

信長の曾孫は旗本奴で活動した

 

織田信長 子孫

 

織田信長の曾孫として知られる「水野成之」も、織田信長の子孫として忘れてはならない働きをしました。

 

代表的な「旗本奴」の一人であり、素行が悪く今でいうところのヤンキーに近いような動きをしていた集団を差します。

 

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江戸時代には6つの「旗本奴」が存在しており、成之は「大小神祇組」というものを組織していました。

 

旗本奴では同時期に活躍をしていた、「町奴」との抗争が絶えずに行われており、その様子は現代の歌舞伎にも描かれます。

 

しかし町奴を殺害する事件が発生し、それがきっかけで切腹を命じられます。享年は35歳と記録があるようです。

 

 

信長の孫と信長は命日が同じ

 

織田信長の子孫で孫にあたる織田貞置は、織田信長を大変に尊敬しており、織田信長像を描かせた一人だとされています。

 

織田信長だけでなく、その家系がどうなっているのかを確かめるために、織田一門の軸跡の収集についても熱心に取り組んだということが記録されています。

 

本能寺の変が起こった6月2日に、貞置も死去しているのはとても面白いですね。

 

 

坂本竜馬の暗殺は本能寺の変の復讐?

 

織田信長 子孫

 

織田信長の子孫の「織田和泉」という人物が、坂本竜馬の暗殺を裏で操っていたのではないかという噂が広まっています。

 

坂本竜馬を暗殺した犯人として浮上しているのが、京都見廻組です。その見廻組がいっきに100名ほど増員をした時期があります。このときに、勘定奉行をしていたのが織田和泉であり、だからこそ坂本竜馬を暗殺できたのではないかと言われているのです。

 

また、坂本竜馬は明智光秀の子孫ということも言われており、近江屋事件は本能寺の変の復讐だったのではないか?なんてことも言われます。

 

 

織田信長の子孫はそれぞれが活躍をしており、現代でも家督を引き継いでいる人がいるほどです。戦国時代で一番有名な武将として知られている織田信長ですから、子孫もそれをしっかりと認識しているようです。

 

超有名人を先祖に持つと、色々と大変な部分があるようですね・・・。