天下泰平を築いた徳川家康は我慢強いだけの性格ではなかった…

徳川家康 性格

 

江戸幕府を開き、260年にも渡り天下泰平を築き上げたのが「徳川家康」ですね。日本の歴史の中で大きな変化を生み出した重要人物であり、現在でもその名前を知らない人はいないと言われています。

 

そんな徳川家康ですが、性格はどのようなものだったのでしょうか?

 

 

我慢強い性格が天下統一を導いた

 

徳川家康 性格

 

徳川家康は、1543年に三河国の弱小な豪族の家に生まれます。家柄が弱かったこともあり、幼少の頃は人質して不遇な子供時代を過ごすことになったと言われているのです。

 

1560年に人質となっていた今川氏が織田信長に敗れると、自由の身となり織田信長と同盟を結ぶことにしました。そこで織田信長の人格や行動力などを学んだとされています。

 

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徳川家康が実は影武者だったとされる2つの説とその批判

 

本能寺の変で織田信長が敗れると、天下を取った豊臣秀吉とは対立をするようになります。秀吉の死後は、関ヶ原の合戦に勝利して1603年に征夷大将軍となり天下統一を果たすのです。

 

不遇を耐え続けて、天下を統一したところから「鳴かぬなら 鳴くまでまとう ほととぎす」という川柳が詠まれるようになったわけです。まさに我慢強い性格をしていたんですね。

 

 

戦場では意外にも短気だった

 

このように耐え続けることに関しては、誰よりも秀でていた性格を持つ徳川家康ですが、意外にも戦場などでは短気でよく怒鳴り散らしていたことが文献などから分かるようです。

 

合戦で裏切る約束をしていたとされる武将が中々行動を取らず、それを見ていた家康はシビれを切らして怒鳴ったようです。

 

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幼少期に人質として生活をしていた心理状況が、癇癪のクセを引き起こしてしまったようで、気に入らない年下の臣下を縁側から突き落とすなどの、突発的な行動をしていたことも分かっています。

 

しかし天下統一を果たせたのは、時期が訪れるまで行動を控えて、とにかく耐えるという行動を取れていたからに他なりません。

 

 

健康に気をつけ質素な生活をしていた

 

徳川家康 性格

 

天下統一を果たした人物は、豊臣秀吉のように豪遊をするようなイメージがありますよね。ところが徳川家康はそうした生活を自ら望むことはせず、生活はいたって質素だったと言われています。

 

麦飯と焼き魚、そして煮物を好んでおり決して食べ過ぎることはありませんでした。お酒にも強いと言われていますが、自ら飲みすぎるということも無しです。

 

これだけでも健康を気にしている性格が分かりますが、それだけでなく薬にも関心を強く持っており、自分で調合をするほどの腕前だったのだとか。

 

こうした健康指向があったおかげか、当時としては長寿の73歳まで生きたのです。

 

 

倹約家として有名だった

 

徳川家康 性格

 

徳川家康は倹約の性格をしていました。現代風に言えば「ドケチ」だった訳です。

 

着物をあまり新調せずに、いつも同じような服ばかりを着るものだから女中が、「そろそろ新しいのを買ったら?」と提案したところ「まだ着れるではないか」と叱責したようです。

 

奥女中から漬物が塩辛いという苦情を受けた家康は、料理人に確認をすると「女中のおかわり量を制限するため」という返答が返ってきました。

 

徳川家康はケチな性格をしていたので、料理人の意見を採用して漬物の味をそのままにしておいたのだとか。

 

こうしたドケチな性格は、徳川家を莫大な財産を持つように作り上げることに成功します。

 

 

徳川家康の性格は我慢強いだけではありません。ケチですし健康にも十分に気をつけていたのです。あまり知られていないこれらの性格ですが、分かってくると天下統一を果たした人物が少し分かってくるので、身近に感じられますね。