織田信長の家臣で現在も名前が残る4人の有名人

織田信長 家臣

 

織田信長の家臣は有名人が多くいます。それぞれが役割を担い、織田信長を天下統一目前まで押し上げたとされているのです。

 

では織田信長の家臣として、現在も名前が残る有名人には誰がいるのでしょうか?

 

 

後の天下統一を果たす豊臣秀吉

 

織田信長 家臣

 

織田信長の家臣として、まず知っておくべきなのが「羽柴秀吉(豊臣秀吉)」でしょう。織田信長が死去してから大活躍して、天下統一を果たした日本の歴史上においても重要な人物です。

 

短気で容赦しない性格を持っている織田信長ですら、豊臣秀吉の活躍には脱帽するところを持っており、全幅の信頼を寄せていたとされています。

 

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織田信長の家臣で現在も名前が残る4人の有名人

 

豊臣秀吉は、百姓の子供として生まれ、織田信長の家臣でも一番身分の低い人物でした。そこから戦においては百戦錬磨の働きをして頭角を出してくると、さらなる活躍をして周囲からの信頼を集めました。

 

織田信長が天下統一目前までたどり着いたのは、豊臣秀吉が家臣だったからだともされており、忘れてはならない重要な家臣です。

 

 

下克上を果たす明智光秀

 

織田信長 家臣

 

織田信長の家臣として従えたものの、最終的には裏切り織田信長を自害させた人物が「明智光秀」です。織田信長にお願いをして、豊臣秀吉と共に織田氏支配下になっていた京都近辺の政務を担当することになります。

 

その後数々の功績をあげたことが評され、近江国滋賀郡を与えられて、坂本城を築城して居城とします。そこからも、織田信長の信頼を得るために、数々の軍事提案をしたり活躍を見せて信頼を得ることに成功していきます。

 

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しかし1582年、羽柴秀吉の毛利征伐支援を命じられて出陣することになりました。その道中の6月2日早朝、桂川を渡り京へ入る段階になって光秀は織田信長を討伐する気持ちを、周囲に打ち明けます。

 

そして有名な本能寺の変が発生し、明智光秀は織田信長を自害に追いやったのです。すぐさま天下統一を果たすも、僅か数十日で没落する最期を迎えます。

 

 

織田信長の右腕とも呼ばれた森蘭丸

 

織田信長 家臣

 

時代劇や漫画などでも頻繁に取り上げられているのが、「森蘭丸」です。品行方正で知的な才能を発揮し、戦で直接の戦闘などはあまり行わず、どちらかというと事務方の武将として有名です。

 

織田信長の戦略などを裏から支える好青年であり将来が有望視されていました。誰に対しても卒なくコミュニケーションが取れるので、織田信長は各地へ森蘭丸を使者として派遣をします。

 

派遣する先々で、森蘭丸の人柄は評価されるようになり優秀な家臣として頭角を出してきたのですが、1582年の本能寺の変において織田信長と一緒に殺されました。享年18歳とされています。

 

 

茶人としてその名は今も知られている

 

織田信長 家臣

 

織田信長の茶頭として雇われ、その後は豊臣秀吉から信頼を厚く受けたのが「千利休」です。

 

元々は千宗易(せんそうえき)という名前でしたが、1585年の禁中茶会にあたり、天皇から利休という名前を与えられました。

 

黄金の茶室を作ったり、わび茶の完成へと向かいます。まで豊臣秀吉の聚楽城内に屋敷を構え聚楽第の築庭にも関わるなど、茶人として最高の名声を受けるまでに上り詰めました。

 

ところが、突然豊臣秀吉の逆鱗に触れてしまい、自宅から一歩も外に出てはいけないと命じられてしまいます。その後豊臣秀吉から切腹を命じられ70歳でその生涯を終えました。

 

 

織田信長の家臣として従えた人物で、現在でもその名前が大きく取り上げられている人はまだまだ多くいます。今回はあまり歴史が得意でない人でも、名前だけは聞いたことのある人物を中心に紹介しました。

 

戦国時代の歴史を大きく変える活躍を見せた織田信長ですが、優秀な家臣がいたからこそのストーリーであることを忘れてはいけませんね。