織田信長の正室「濃姫」は謎多き人物であった

織田信長 濃姫

 

織田信長の正室として登場する濃姫。現在でも、ドラマがゲーム、漫画などの数多く登場しているので、知っている人も多いのではないでしょうか?

 

本名を「帰蝶」ともされている濃姫ですが、実は資料が乏しく晩年はどのように過ごしたのか分かっていません。

 

織田信長の正室である濃姫は、どんな人物だったのでしょうか?

 

 

生誕から結婚まで

 

織田信長 濃姫

 

濃姫の生誕は1535年と言われます。父は斉藤道三で、母は小見の方(明智光継の娘)。

 

どんな生活をしていたのかは全くの不明で、どういう経緯があったのかも分かっていませんが、1548年に織田信長の正室になります。

 

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天下統一を目前に亡くなった信長の子孫たちとその後…

 

濃姫が織田信長のところへ嫁ぐ時、斉藤道三は濃姫に一振りの懐刀を与えてこう述べたと言われます。「信長はしっかりしていないと言われているが、もしそれが本当ならばこの刀で刺せ」と。

 

濃姫は、その答えとして、「分かったけど、もしかしたらこの刀であなたを刺すかもね」というもので、濃姫の気の強い性格が分かります。

 

 

濃姫は政略結婚だった?

 

織田信長 濃姫

 

織田信長の正室になった濃姫ですが、その後どんな活躍をしてどういった生活を送っていたのかという資料が乏しく、何も分かっていないというのが今のところの答えです。

 

ですがそこから察するに当たり、いくつかの説というものが登場しています。一番多くの人が関心を示しているのが、「政略結婚」というもの。

 

斉藤道三は、濃姫をスパイとして織田信長に嫁がせただけ。織田信長も、斉藤道三の影響力を利用して勢力拡大に利用しただけに過ぎないとされているのです。二人は連絡を取り合い、お互いが得をするという理由で結婚をしたのだという説です。

 

また、政略結婚に違いはないけど、濃姫は武将の正室としての立場をしっかりとわきまえて織田信長を支持しており、信長もそれを認めていたという見解もあります。

 

 

道三の死後濃姫はどうなったかは不明である

 

資料が一切無いので確実なことは何も言えません。どのような流れで織田信長と結婚をしたのかを確認することは出来ませんが、それと同じように不明なのが斉藤道三の死後、どうなったのかというところです。

 

もし政略結婚で、斉藤道三の後ろ盾の利益を得られなくなったのだとしたら、正室に濃姫を置いておく必要がなくなります。そのためすぐに殺されたか、美濃に送り返されたかどちらかになったとされています。

 

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しかし本当に濃姫の価値がなくなったのかは疑問を呈するところもあり、真相は不明です。現在のところ考えられているのは、斉藤道三が死亡した後でも、正室としてあり続けたという説です。

 

織田信長は短気で非道な一面を持っていると言われますが、身内には甘いともされています。長年連れ添った濃姫を無碍に扱うようなことはしないだろうと考えられているからです。

 

 

濃姫の記述がないのは名前が変わっている可能性がある

 

織田信長 濃姫

 

どちらにしても、濃姫の晩年や死に際に関しての文献や伝承というものは存在しません。しかし、これは「濃姫」という名称にこだわりすぎているのではないか?という考え方もあります。

 

この時代、女性の名前は住まいや地名などで頻繁に変わっており、元々の名前がずっと使われるということはまれでした。

 

実は記録といて「安土殿」という人物が記されています。安土というのは織田信長の居城の名前であり、その名前を使われる人物というのは、織田信長の正室以外には考えられないと言われます。

 

この安土殿は、1612年に亡くなったという記述があるようです。そのため、正室の座を追われることなく、晩年は平和に暮らしていたのではないかと考えるのが、無難だともされています。

 

 

織田信長の正室として迎えられた濃姫。その後の資料には一切その名前が出てこないですし、どんな活躍をしたのかも不明です。

 

結婚に至る経緯から晩年までも、現在では憶測するしかありません。そこがまた歴史のロマンを感じさせる部分であり、多くの人の関心を示しているのでしょうね。