残忍と言われていた織田信長の性格は違う一面もあった

織田信長 性格

 

戦国武将で現在でも人気の織田信長。そのエピソードは人を惹きつけるだけのストーリーを持っており、ドラマやアニメ化になるなど、人気は衰えません。

 

そんな織田信長ですが、性格はどんなものだったのでしょうか?

 

 

有名な一文で性格が分かる

 

織田信長 性格

 

織田信長の性格を知る有名な一文があります。それが、「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす」というもの。

 

戦国時代の中心人物であった、豊臣秀吉は「鳴かせてみよう」と表現し、徳川家康は「鳴くまでまとう」という性格を持っていたとされますから、織田信長は短気で荒々しい性格を持っていたことが分かりますね。

 

 

容赦の無いところが残忍と言われている

 

織田信長 性格

 

織田信長が、どうして「殺してしまえ」という表現を用いられているのかについては歴史を紐解くと明らかになります。

 

1570年〜1574年にかけて、長島において一向一揆がありました。このとき2万人以上の犠牲者がでて長島は完全に崩壊してしまったのです。

 

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織田信長と浅井長政は同盟から一転し激突した本当の理由

 

また1581年には、荒木村重の家臣が高野山に逃げ込み、これを匿いました。織田信長は何度も使者を高野山に送るのですが、それを拒否しただけでなく使者すら殺されました。

 

これに対して織田信長は高野聖を殺し、その犠牲者は千人以上とも言われるのです。このように、相手によっては容赦なく、背いたならば躊躇せずに処刑する姿は、まさに「殺してしまえ」と表現されるような性格を持っていたのです。

 

 

短気ですぐに怒っていた

 

織田信長 性格

 

織田信長は癇癪(かんしゃく)を持っており、ちょっとしたことでもすぐに怒っていたようです。有名なところでは、乳母の乳首を噛み切ってしまうようで、乳母探しに苦労したのだとか。

 

また織田信長を怒らせてしまった、茶坊主は怒りを恐れて棚の中に隠れてしまいます。

 

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中々相手を捕まえられない織田信長は業を煮やし、棚の隙間に刀を押し入れるようにして、茶坊主を殺してしまったと言われます。

 

その際に使われた刀は、黒田官兵衛が拝領したとされる「圧切長谷部(へしきりはせべ)」と呼ばれる名刀です。

 

 

短気で残忍なだけではなかった

 

短気で逆らう人には容赦がないイメージの織田信長ですが、織田信長から約束を破ることは一切ありませんでした。

 

逆に周囲から散々裏切られていたので、それでも挫けない芯が強い性格を持っているとも言われています。

 

さらに意外と繊細な一面があったことも、文献等から読み取れます。たとえば、単身赴任をした部下のちょっとした不祥事に親身になって説教をしたり、秀吉の夫婦喧嘩を仲裁をしたことも言われていますね。

 

また積極的な性格で、新しいものをどんどん取り入れる人でもありました。鉄砲を取り入れたり、茶の湯や和歌という文化的な伝統に関しても理解を示していたようです。

 

 

織田信長は激しくもあり、そして繊細でもあり、積極的な性格すら持っています。場面によって自分を「演じている」のではないかというぐらいの変わりようが、現代の人々を魅了する部分なのかもしれませんね。